2022年春、西新橋二丁目にある南桜公園の桜が今年も満開を迎えています。
早咲きの「大寒桜」と、そのあとに咲く「ソメイヨシノ」の2種類の桜が入れ替わりで咲くため、東京のど真ん中のビジネス街にありながら、長く花見を楽しめると評判のビジネスマンたちの憩いの場です。
その公園の向かいにある「64 Barrack st.(シックスティーフォー・バラック・ストリート)」はオーストラリアをテーマにしたレストラン。しかも日本では珍しい、西オーストラリア州の料理やワインを積極的に取り入れており、シドニーやメルボルンといった東部のイメージが強い日本のオーストラリア・レストランのなかでは貴重な存在です。
世界有数の「住みたい都市」パースがある西オーストラリア
オーストラリア本土の1/3の面積を有する西オーストラリア州は、首都パースやワイン産地としても知られるマーガレット・リバーなどを中心にした比較的肥沃な南西地域がよく知られています。
一方で州域のほとんどが乾燥地帯ということもあり、著名な川沿いの街以外は、バングル・バングルという砂岩ドームや、ラクダで知られるケーブル・ビーチなど、太古の地球の姿を伝えるような壮大なスケールで迫る自然の姿もまた魅力です。
特にオーストラリア第4の都市であるパースは、イギリスのエコノミスト誌が調査した「世界で最も住みやすい都市」ランキングの2021年版で第6位(オーストラリアの都市では、アデレードに次いで2番目)に入るほど、世界の人々が憧れる都市でもあります。
2017年にオープンした64 Barrack st.でヘッドシェフを務める白井正樹さんは、同店がオープンする前に研修で初めてオーストラリアを訪れ、滞在したのも西オーストラリアのパースでした。
「パースに、当店の姉妹店であるEDOSEI(江戸誠)という日本料理店があるんです。そこを拠点にしながら、マーガレット・リバーのワイナリーを見るなど、10日間ほどかけてまわりました。街の文化も含めて学んでこれたのはよかったと思っています」と白井さん。
64 Barrack st.では、港町パースで獲れるムール貝を使った名物料理「チリマッスル」が食べられます。白井さんが現地で出会った味で、日本に滞在している西オーストラリア出身者や、滞在経験のある日本人などが懐かしむ思い出のひと品としても人気があります。
白井正樹さん(以下、白井)「西オーストラリアを全面的に押し出しているというわけでもなく、あくまでオーストラリアをテーマにしたお店ですので、牛肉はもちろん、食材ではラム肉やタスマニアサーモン、調味料では塩、ハチミツ、オリーブオイルなどオーストラリア全土のものを使っています。ワインも、オーストラリア全土のワインを揃えています。ただ、やはりマーガレット・リバーのワインが一番多かったりもするので、オーストラリアにゆかりのある方からすると『あれ?西オーストラリアに関係がある店なのかな』と気づいてもらえるんじゃないかなと思っています」
一発で魅了されたオーストラリアのおおらかさ
スペイン料理やフランス料理など、ヨーロッパの料理店で働いてきた白井さんにとって、オーストラリアは、未知の料理だったといいます。
白井 「『チリマッスル』を食べて感じたのは、イタリア料理でした。移民の国ということもあって、イタリアから移ってきた人たちが地元の食材で作ったのがチリマッスルだったんでしょうね。さまざまな国の料理が融合して、自由な発想の料理が生まれていることに、すごく魅力を感じました。ちょうど世界の料理自体が、フレンチやイタリアンといったジャンルで分けられないようなフュージョン(融合)させる料理に向かっていることからも、時代の流れにあった料理だと思いましたし、行ってみて一発でオーストラリアに魅了されました」
そうした各国の調理法や食材、調味料が交差するフュージョン料理のなかで、どうしても代替できないものが、オーストラリア産の食材ではないかと白井さんはいいます。とくにオーストラリア食材が、徹底した品質管理のもと安心安全性を重要視していることは、他の国の食材では、代替できない価値だと考えています。
白井 「世界が健康的な生活や、サステナブル、安心安全な食に向かっているなかで、オーストラリアは、輸出する食品に対して、国をあげて厳格な管理をしていることを知りました。そういった点でも、オーストラリアの食材を積極的に使いたいんですね。もちろん、その分お代はいただくことになってしまうのですが、安心安全に対する価値は、お金を払う価値になっていくと思いますし、これからの日本人にもマッチしていくはずです」
肉料理の本場といえるヨーロッパの料理を長く作ってきた白井さんの目には、オーストラリアの牛肉はどのように映っているのでしょうか。
白井 「オーストラリアで食べたステーキは思い出深いですね。もちろん肉自体のおいしさもありますが、付け合わせのソースが、移民の国らしくさまざまな食の文化を取り入れた仕立てになっていたのも体験したので、64 Barrack st.でもそういったいろいろなソースを提供したいと思っています」
64 Barrack st.で扱うのは、オーストラリア産のなかでも北東部のクイーンズランド産アンガス種の穀物肥育期間200日のロンググレインビーフ(長期穀物肥育牛)。ステーキ向きのサーロインはヨーロッパ風に、赤身に脂身が適度に入ったリブロースはオージーのBBQスタイルと、同じアンガスビーフを部位と仕立てをガラリと変えて提供しています。
白井 「どちらも、上質な赤身の肉ではありますが、200日以上の間穀物を与えて育てているので、うま味やほどよい脂が入っています。日本のマーケット向けに育てられている牛肉なので、日本人の口に合う牛肉だと思います」
海を舞台に展開する企業がレストランを開く
64 Barrack st.を運営する「JRCS」は、山口県下関市に本社をもつ船舶用の電気機器を製造するメーカーです。創業者の近藤髙清氏は、食が好きだったこともあり、オーストラリア・シドニーにあった日本料理店「江戸清」を出資者として立ち上げて運営をしていました。1980年代のことです。
今ではオーストラリアで成功したもっとも著名な日本出身の料理人、和久田哲也氏が「Tetsuya’s」をシドニーに1980年代中頃にオープンさせるなど、オーストラリアの主要都市に日本料理店が現れ始めた頃に重なります。
当時の江戸清で店舗マネージャーを務めていた宮武孝治さんが、64 Barrack st.でゼネラルマネージャーを務めています。
「シドニーの『江戸清』は、後に閉店しますが、今、パースにある当店の姉妹店『江戸誠』は、先代の跡を継いだ髙一郎JRCSグループ社長が2014年に再オープンさせたものです。当時は、2011年の東日本大震災の影響を受けたエネルギー需要の変化を受けて、西オーストラリアに日本のエネルギー関連の企業が移っていたころ。現社長も先代と変わらず食が好きな人でしたので、パースにいる日本人に日本人がオーナーの日本料理店を作ろうとしたのが再オープンのきっかけです」と、30年以上にわたりオーストラリアと日本の食の交流を見てきた宮武さんは話します。
64 Barrack st.の店内が、西オーストラリアのビーチや壮大な自然風景をイメージさせるブルーとグリーンで統一されているのは、船舶に関する企業が経営母体であることも関係しているのです。
オーストラリアのようなおおらかな時間を過ごせる店でありたい
シェフの白井さんは、オープン前にパースを訪れた後、シドニーやゴールドコースト、メルボルンなど東部の都市をまわるなど、すっかりオーストラリアという国が好きになったといいます。
白井 「オーストラリアは、人のおおらかさがあると思います。オーストラリアは一人で旅していて、夜は必ずといっていいほどパブで飲んでいると、パブの店員さんが注文を間違えたりしちゃうんですよ(笑)。僕も旅行で行ってるんで怒ったりしないですし、そういうときの店員さんの対応が『申し訳ない』という気持ちもありつつ『大丈夫だろ、このくらい!』みたいなおおらかさがあるんです。そういったところに、日本とは違うゆったりとした時間の流れ方もあるような気がしていて、それはすごく魅力的だなと思っています」
64 Barrack st.も、そんな「おおらかな時間」を過ごせる店でありたいという白井さんは、夜の営業も、席を何回転もさせて賑やかな雰囲気にするよりも、ゆっくりと長い時間滞在して食事や会話を楽しんでほしいといいます。
白井 「オーストラリアをテーマにした店ですので、オーストラリアにゆかりがあったり、興味があるお客様がオーストラリアについて話したくて64 Barrack st.にいらっしゃると思うんです。そういった目的であれば、店のスタッフもオーストラリアのことを話せたらもっとお客様に楽しんでいただけるはずです。ですので、オーストラリアの知識をスタッフみんなで共有しあうことや、お客様に接するときも『パースのバッセルトンに1年住んでたんです』というようなお話を積極的にすることで、気持ちよく過ごしてもらえるんじゃないかと思っています」
オーストラリアのおおらかな文化とフュージョン的な食文化に魅了されたシェフの白井さんだけでなく、オーストラリアと日本の食を35年近く見続けてきた宮武さんから溢れるオーストラリアへの愛情が、64 Barrack st.にオーストラリアに魅了された多くの人たちが集まる店にしているのです。