新宿から最短で30分、池袋から最短で20分と都心からのアクセス至便ということもあり、駅周辺には高層マンションが8棟も立ち並ぶJR武蔵浦和駅。この都会に勤めるファミリーに人気のベッドシティに8月20日にオープンしたのが「ビストロ スピカ」です。
日本の居酒屋にあたる小さな料理店が語源にある「ビストロ」を冠した店では、フランス料理のパテ・ド・カンパーニュや真鯛のソテー、イタリアの生ハムやパスタなどの料理がにぎやかに並ぶなかで、メインの肉料理には、オーストラリア産の牛肉やラム肉のステーキがチョイスされています。
「オーストラリア料理専門店ではないですが、オーストラリアへの愛は深い」というマネージャーの栗原徹さんに、新しくオープンさせた郊外型レストランの目指す姿について聞きました。
コロナ禍で新店を高層マンションの足元にオープン
2020年と21年の飲食業界は、新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄された2年間だったといえます。延々と続く営業自粛要請で夜の飲食街から人が消え、老舗の名店や人気店が惜しまれながら閉店するニュースをいくつも聞きました。
一方でデリバリーやテイクアウト、EC通販は好調で、飲食のパワーバランスに変化が生まれるきっかけでもあったともいえます。そんな時代にスピカをオープンさせた栗原さんは、郊外型レストランに可能性を感じたといいます。
栗原徹さん(以降、栗原) 「JR武蔵浦和駅近郊のタワーマンションに住んでいる方の9割が東京で仕事をしているそうです。さらに現在、9棟目になる高層マンションが建設中。6000万円台の価格にも入居者があるほど、所得も高い方が多く住んでいます。それなら家の近くに東京のような雰囲気で、東京にあるレストランのクオリティの料理とワイン、サービスを揃えた店があれば、この街に根ざした地域の皆様に愛される店になるんじゃないかと考えたんです」
栗原さん自身にもプライベートの変化もありました。同じ埼京線沿いの最寄り駅に自宅を移したことや、現在3歳の娘が育っていくなかで家族の時間をより大事にしたいという父親としての思い。さらには、自分がイチからコンセプトをたてたレストランを人気店に育てようとするなら、36歳になるこの年は、最後といってもいい挑戦のタイミングでもありました。
栗原 「店のコンセプトは『毎日のプチ贅沢』。家の近くでちょっとしたフォアグラのソテーが出てきたり、トリュフがあったり、赤ワインソースのおいしいお肉があるといいなぁというイメージを具現化したのがスピカというビストロなんです」
大切なのは「仕事に対する誇り」
1年前まで栗原さんは、東京・丸の内の「ワトルトーキョー」や銀座「アイアンバーク グリル&バー」といったオーストラリア料理のレストランを中心に都内に展開するPJパートナーズで、グループ店のマネジメントを統括する立場として活躍していました。
世界的な美食都市で、食通のゲストの厳しい目を十分に知る栗原さんにとって、東京のレストランのクオリティとは、どんなものなのでしょうか。
栗原 「良い素材を使うとか、細かい部分まで意識をもったおもてなしなど、いろいろとあると思うのですが、一番大きいのは『仕事に対する誇り』だと思っています。たとえば、料理を出す場面でも、『オージー・ビーフのステーキです』というだけではなくて、きちんと『200日以上、長期にわたって穀物肥育された上質なオージー・ビーフのランプ、おしりの部分のお肉です』と説明できることや、お客様に聞かれたことにすぐお答えできるようにしておくこと。カジュアルだけどきちんとしている、それが僕が考える東京クオリティですね」
スピカでは、そんな東京のレストランのクオリティを意識しながらも、店自体は徹底的に地元のゲストのニーズに応えていきたいと栗原さんはいいます。
店名にフランスの居酒屋である「ビストロ」の名をつけたのも、そんな思いのあらわれ。ジャンルを問わず各国の料理があるだけでなく、クラフトビールやワイン、カクテルまで充実している店の方が武蔵浦和にはあっていると栗原さんはいいます。
さらに子ども連れのゲストを積極的に歓迎しているのも、ゲストのニーズに応えていこうというスピカのスタイルのひとつです。
栗原 「僕自身もそうなのですが、娘をベビーカーにのせて都内のお気に入りのレストランにいくのは大変なんです。お店側にも迷惑をかけるんじゃないかと思うときもあって。『子どもが小さいうちは、外食は自由にできない』って自制してしまうのは残念だと思うんですよね。だったらスピカは、そういったご家族を歓迎したい。『こんなにオシャレな空間で子どももオッケーなの?』といってもらえる店にしたいと思ったんです」
スピカのメニューにはキッズメニューも充実。オムライスプレートやハンバーグプレートがメニューにあるほか、子ども用のキャラクターが印刷された器やカトラリー、直立式の子ども用の椅子なども用意されています。
すべてのジャンルを受け止めるのがオーストラリアスタイル
聡明でいきいき、ときに熱っぽい。「自分でもポジティブな人間だと思います(笑)」という栗原さんのハッピーで明るい雰囲気は、まわりをつねに元気づけます。一方、サービスマンとしてスイッチが入れば一変。16年続けてきた接客技術を使ってゲストを楽しませます。
栗原 「サービスマンとしてのスタートは20歳のとき。青山にある接客で有名なレストランでした。すばらしい先輩サービスマンといっしょに仕事ができたのは僕の飲食人生として本当に幸運なことです」
レストランの配膳方法は決まりがいろいろあります。基本的には料理は左からサーブするのが基本です。たとえば2名のゲストが斜めに向かい合って座るような場合、この基本通りに同時に配膳すると2人の目線を遮ってしまいます。それでも基本通り左からサーブするのか、目線を遮らないようにサーブする方向を変えるのか。先輩のサービスマンたちは、ゲストの時間を大事にしたいと、相手のいない外側からサーブするようにしていたといいます。
時代が変わりお客様も変われば、サービスも変わる。そんな先輩たちの姿に栗原さんは、多くを学びました。
栗原 「もうひとつ大きかったのがオーストラリアとの出会いです。オーストラリアにワイナリーとレストランの研修に行ったときに、インド人シェフがフレンチをやっていたり、韓国のキムチや日本の味噌が、同じコースで出てきたりと、まったくジャンルにこだわらない自由さにおどろきました。すごくカッコいいパブに、お年寄りも若者もいっしょの空間で飲んでいたり。宗教も、文化も、国籍も全てがクロスオーバーしていたんです」
栗原さんが、フレンチもイタリアンも、年配も若者もファミリーも、すべての人が同じ場所で楽しんでもらえるレストランをスピカで目指そうとするバックグラウンドには、オーストラリアで体験した風景があったのです。
和牛よりもオージー・ビーフが好き
レストランのトレンドを見るとその店にとって”意味のある食材”を使うことが求められています。郊外に開くレストランが「地産地消」を掲げ、ローカル色を強めていくスタイルはその代表例といえます。武蔵浦和駅がある埼玉県でいえば、イタリア野菜や県の和牛ブランド「武州和牛」などもあるなかで、なぜオーストラリア産牛肉をチョイスしたのでしょうか。
栗原 「埼玉産の食材を使おうかと、シェフの楠本とも話したのですが、僕も楠本もオーストラリアのレストランで長く働いていたこともあって、一番熱量をもって伝えられるのがオーストラリアの食材なんです。知識や繋がりがないなかでただブランディングのために使うというのも嫌なので。『おいしい』って十分にわかっているオーストラリアの食材を自信をもってお伝えしたいんです。もちろん、これから近郊の生産者に会いに行きたいと思っています。」
シェフを務める楠本光宏さんからみても、赤身主体のオーストラリア産牛肉は、ゲストの好みに合っているといいます。
栗原 「これからの食のニーズを考えたときにヘルシーであることは必須条件だと思います。とくに、この街には、60歳や70歳代のご高齢の方もいらっしゃるので、サシが入った和牛よりも、さっぱりと食べられて、食べ疲れしないオーストラリア産牛肉はお好みに合うと思います。それと僕自身、いろいろな国の牛肉を食べたうえで、一番おいしいと思うのがオーストラリア産だというのもありますね(笑)」
スピカでは現在、グレインフェッド(穀物肥育)の牛のフィレをグリルにしたメイン料理が看板メニューになっています。穀物肥育期間が200日から250日間と長い「ロンググレイン」という肥育方法の牛肉です。
栗原さんも「オーストラリアの牛肉は、食べたものの香りがきちんとして、旨味も強い。今後は、グラスフェッドビーフ(牧草飼育牛)やそのなかでも、とくに牧草にこだわって育てられたパスチャーフェッドビーフなども使っていきたいと思っています」といい、おたがいに大好きなオーストラリアの食材を使って、ジャンルにとらわれない自由な料理や空間でゲストに喜んでもらいたいといいます。
栗原 「オーストラリアに出会えて良かったかなって思いますね。じつは一時期、ヨーロッパやアメリカに海外留学して帰ってきたら東京の三つ星レストランで働こうと思っていたんです。もちろんそうした一流に向かうことも素晴らしいことですが、今思ってみると、自分の目立ちたがりな性格とかを考えてもその方向に行かなくて良かったなって思っています(笑)。スピカ自体が、自分たちにあったお店なんだと思います」