京都の食の台所「錦市場」の1本北側、蛸薬師通りに深夜1時まで賑わうイタリアンがあります。黄や青のカラフルな色で彩られ、南イタリアをイメージした「カンティーナ・アルコ」は、シェフの清水美絵さんがオーナーを務めるレストランです。「カンティーナ」とは、酒場やワインショップなど、「アルコ」はアーチを意味するイタリア語。アーチ形の梁が印象的な店内は、南イタリアの現地のレストランをイメージさせます。
「現地を旅したり、住んでいた人に『懐かしい』と言ってもらえるようなお店にしたかったんです」という清水さん自身も大いに南イタリアに魅了された一人です。南イタリアへの愛情がそのまま反映されたカンティーナ・アルコは、「大人の酒場」として、同じ飲食店の同業者たちが閉店後に通う、料理人にも愛される人気店です。
みんなが大好き肉団子のトマトソース煮込み「ポルペッティ」
カンティーナ・アルコのメニューを見ると、地元・京都府産だけでなく、隣の滋賀県や、少し離れた長野県など、日本各地の生産者から取り寄せた食材が書かれています。「生産者密着型のお店です」と清水さんが言うように、南半球の遠く離れたオーストラリア産の食材は、残念ながら見つけられません。
しかし、カンティーナ・アルコの名物料理である「ポルペッティ ナポレターナ」に、じつはオーストラリア産の牛肉が使われています。
ポルペッティ は、イタリア風の肉団子をトマトソースで煮込み、パスタと和えた豪快な料理で、映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で、主人公のルパン三世が相棒の次元大介と取り合うように食べていたスパゲッティといえば、ピンとくる人もいるかもしれません。
南イタリアの各地で食べられている料理で、土地ごとに特徴があります。また肉団子のトマト煮込みだけでメインメニューになることもあります。
清水さんが作るのは、カンパーニャ州ナポリのスタイルで、しっかりと牛肉を使った肉団子が特徴。カンパーニャ州の港町、ソレントにあり、清水さんが研修で働いたことも「カルーソ」で出していたレシピを清水さん流に再現しています。
清水美絵さん(以下、清水)「アルコのポルペッティは、秋から冬にかけて出すメニューで、寒くなってくるとお客様から自然と『そろそろポルペッティを、出さないの?』と聞かれる人気メニューなんです」
オーストラリア産の牛スネ肉を使い、タマネギとニンニク、パルミジャーノレッジャーノ、イタリアンパセリ、 ナツメグ、黒コショウを加えて練った生地を、直径3〜4cmの大きさボール状に成形してトマトソースで煮込みます。
ワシワシと噛み締めることでうま味が出てくる肉団子と、肉のうま味がしみ出た濃密なトマトソースを、太めのスパゲッティとともにほお張る。ミートボールやハンバーグ、さらにナポリタンの要素も見え隠れする、どこか懐かしくて哀愁あふれるポルペッティが人気メニューになるのもうなずけます。
和牛からオーストラリア産牛肉にかえて「これだ!」と感じた
5年ほど前からカンティーナ・アルコのメニューに入っている「ポルペッティ ナポレターナ」ですが、清水さんが作りはじめたときは、国産和牛のミンチ肉を使っていました。ジューシーで肉汁が溢れでてくる和牛のポルペッティもおいしく、ゲストからの人気もあった一方で、どこか「イタリアで食べていたものとちょっと違う」ということを、清水さんは感じていたといいます。
清水 「和牛だと、どうしても脂が多くて、たとえば丸く成形する時から脂が流れでてきてしまうんです。煮込んでも脂が出てきて、小さく縮んでしまう。食感も、和牛を使うと煮込んでやわらかくなったハンバーグのようになって、それはそれでおいしいのですが、イタリアで食べたような、食感がしっかり残って、噛むほどに味がする食べ応えのある肉団子とは、ちょっと違うなと感じていたんです」
考えてみれば、イタリアで使っていたのは、和牛のように脂がのった牛肉ではなく、赤身が強く、しかもスネなどの煮込みに向いた部位。また、さまざまな部位がまざってしまう和牛のミンチ肉であることを考えると、違った仕上がりになるのも理解できます。
そこで清水さんは、外国産の赤身肉でポルペッティを作り変えてみたらどうだろうかと考え、理想の赤身肉を探しはじめます。ある縁で京都にある飲食店向けの卸し専門業者「岡田商会」と知り合い、担当の池田佳隆さんに肉の相談をします。料理人出身の池田さんが、清水さんの「赤身志向」の意向を汲みとり提案したのが、オーストラリア産のスネ肉のミンチでした。
清水 「ミンチ肉は、さまざまな部位の切り落としや時間が経った肉を集めて挽くので、鮮度や臭いなど不安になることがあります。しかし岡田商会さんでは、部位ごとに販売されてる商品をミンチにしてくれるので、鮮度が違います。そんな信頼できるお肉屋さんから最初にいただいたのが、オーストラリア産の牛スネ肉だったんです」
さっそくポルペッティを作ってみた清水さんは、「これだ!」と感じたといいます。成形したときの肉の手触り、煮込んだ硬さと仕上がりの赤身肉らしい存在感。ソースにしみ出た肉のうま味。一発で肉質を気に入り、以来オーストラリア産のスネ肉でポルペッティを作り続けています。
イタリアで食べた料理であれば、私は迷うことはない
清水さんがイタリア料理に出会ったのは、20代の初め。京都調理師学校を卒業後に就職した先が、京都・一乗寺の老舗イタリア料理店「トラットリア アンティコ」でした。入社後、社内研修でイタリア・トスカーナ州のシエナに行き、イタリアに魅了されます。
研修旅行以来、清水シェフはイタリア語を習いはじめ、お金を貯めればイタリアを(ときには一人で)旅していました。そのなかで、イタリアに住む人たちの明るさと、毎日食べても飽きない料理とワインがある南イタリアに惹かれていきます。
清水 「トスカーナなど北イタリアの料理もおいしいと思ったんですけど、毎日食べて生活したいと思ったのは南イタリア。トマトとニンニク、オリーブオイルがベースで、たとえばお肉なら、鳥肉だったらムネ、豚肉だったらバラじゃなくてモモを使うような、全体的にさっぱりしていて、脂っぽくないのも健康的に感じました」
カンパーニャ州の港町、ソレントのレストラン「カルーソ」で9カ月ほど研修して働いて帰国した後、清水さんは2014年に30代前半で「カンティーナ・アルコ」をオープンさせます。
オープン当時は「独立は早すぎる」という意見もあったと清水さんは当時を振り返ります。さらに、自分がもし男性だったら、もう一度イタリアを見て、自分なりの創意工夫を加えた料理を目指し、独立はもう少し遅くなったかもしれないといいます。
しかし、女性がオーナーシェフを務めるイタリア料理店は、日本では実はそれほど多くありません。そして、50代や60代で現役の女性料理人はもっと少ないのも実情です。
女性が長く店を続けていくための前例がないのなら、体力があるうちに早くから始めた方がいい。さらに清水さんが目指すのは、イタリアで見てきたものを中心に作る現地のイタリア料理です。前衛的なレストランのシェフのようにイタリア料理のテクニックを使って現代的に表現するのは時間がかかりますが、見てきた料理を作り続けていのであれば、独立してからでもイタリアを行き来することでインプットを続けることもできます。
清水 「『自分が食べてきたものがこうだったから』ということであれば、私ははっきりと言えるので、迷ったりすることもない。それは、確実にお店を続ける自信にもなっています。イタリアで食べた料理がおいしかったから、その味に近づけるように作り上げていく。そのことを、ずっと続けているんです」
イタリアで見てきたものを、ちょっとだけクオリティをあげていく
イタリアで見てきたものを表現するため清水さんは、毎年1度は、南イタリアに渡り、現地の家庭料理を学んで帰ってくることをくり返してきました。コロナ禍もあり2019年以来、イタリアに行けずにいましたが、2022年9月、ようやく3年ぶりに南イタリアに行くことが叶い、3週間にわたってローマや、ナポリやソレントがあるカンパーニア州、カラブリア州、プーリア州などをまわってきました。
清水 「今回はカラブリア州がメインで5日間ほど滞在してきました。現地では、イタリア人の料理上手のお母さんに、お金をお支払いして料理教室を開いてもらい、動画を撮影するなどしてしっかり学んできました」
イタリアから帰国し、京都に着いたのは20時。いったん自宅に帰って旅装をといたのも束の間、旅の疲れを癒すことなくすぐにカンティーナ・アルコに向かい、翌日のランチから学んできた料理を出そうと、試作と仕込みに入ったといいます。
清水 「イタリアで学んできた感覚がブレる前にすぐに作りたいと思ったんです。すぐに作らないと食べてきた味を忘れていきますから。メモや動画を見返せるようになっていますが、味のニュアンスは頭の中にあるので」
一方で「イタリアの料理を完全に再現しようとしているわけではないんです」ともいいます。そもそも食材の違いがあるのはもちろん、たとえば現地のまま再現した料理が、日本で必ずおいしくなるわけでもありません。そのため、食材を良くしたり、火入れを考えなおしたりすることを心がけているといいます。
清水 「そういった意味では、ポルペッティは、オーストラリア産のスネ肉にして、現地で食べたポルペッティよりもおいしくなったと思っています。イタリアで使っていた牛肉と食感のイメージは似ていますが、煮込んだときのうま味の出方が違うので、トマトソースがよりおいしくなっていると思います。こういった、イタリアで見てきたものを、ちょっとだけクオリティをあげていくことをしていきたいと思っているんです」
現地のマンマ(イタリア語でお母さん)に習い、現地のものをそのまま持ち帰ってきた料理を、手を加えすぎずにさらに良くするのが、清水さんが考えるカンティーナ・アルコの料理なのです。