「わたしにあう、オージー・ビーフ」の連載企画がスタートして1年2カ月、「新しい価値を求める人たちに、オージー・ビーフは、よく似合います。」というコンセプトのもと、12人のオージー・ビーフが似合う人たちを紹介してきました。
13回目になる今回は、本連載の立案者で取材、編集、執筆を担当する食の編集者の江六前一郎です。無類のオーストラリア好きで「老後は、オーストラリアに移住したい」と考える江六前がオーストラリアに惹かれた理由、オージー・ビーフの魅力について語ります。
自由で活気のあるオーストラリアのレストランに魅了された
オーストラリアをはじめて訪れたのは、2015年5月のことした。当時、料理の専門誌「料理王国」の編集部に所属しており、オーストラリアの食肉事情についてのタイアップ取材でMLA(豪州食肉家畜生産者事業団)の招待を受けて渡豪。幸運にも、翌16年11月にふたたびオーストラリアに行くこともできました。
当時の料理王国は、オート・キュイジーヌと呼ばれる高級なフランス料理や、地方性豊かなイタリア料理、モダン・ガストロノミーといわれて旋風を巻き起こしていたスペインや北欧の料理など、ヨーロッパの国々の料理を中心に紹介していました。そのため、オーストラリアといえば世界的な料理の潮流のなかでは後進国、それほど期待をせずに飛行機に乗ったのを覚えています。
しかし、初めて訪れたオーストラリアの食は、想像を超えるほど活気に溢れていました。とくに200以上の異なる文化的背景をもつ人々が暮らすこともあり、食のシーンは多様性に富み、たとえばメルボルンでは、日本の文化を大胆に取り入れた「Supernormal」やモダン・インド料理「TONKA」、シドニーでは、イタリアンにアジアのテイストを加えた「LuMi Dining」やガラス張りの熟成庫や炭火焼のオープンカウンターなどが目を引く「Nomad」など、カジュアルで勢いがあり、食を心から楽しんでいるレストランが多かったことに驚かされたのです。
ちょうど2度のオーストラリア取材の間、2016年1月には、デンマークの首都コペンハーゲンにあるレストランで、当時世界No.1といわれていた「noma」がシドニーで10週間限定でポップアップレストランを開いていました。当時は、少しずつですが食の国としてのオーストラリアにスポットが当たり始めた頃でもあります。
長い歴史を持たないからこそ、自由な発想で自分たちの存在を表現しようとするレストランに、歴史あるヨーロッパのレストランとは違った存在意義とおもしろさを感じるようになったのです。
メルボルン郊外のレストランで感じた人生の楽しみ方
オーストラリアで訪れたレストランのなかでも特に印象に残っているのが、メルボルン郊外の田舎町、ジーロンにある1ハット(最高位は3ハット)のレストラン「Tulip」です。
シェフのグラハム・ジェフリーズさんは、メルボルンのレストランで働いていましたが、2011年頃にジーロンに移住してきました。理由は、サーフィンをしたいから。
都会で一日中キッチンに籠って働くよりも、田舎町に移って大好きなサーフィンをしながらレストランをしたい。酪農・畜産が盛んな地ということもあり、地元の新鮮でおいしい食材を扱えるのも魅力的だったとジェフリーズさんは話してくれました。
「ミシュラン・ガイド」星付きのレストランや、世界のベストレストラン50にランクインすることを目指すような、ある意味で身を削りながら高みを目指すシェフたちを中心に取材していた僕にとって、ジェフリーズさんのライフスタイルを重視した人生の選択は、今でこそ「ワーク・ライフ・バランス」などといわれますが、当時はそんな概念はまだなく、とくに印象的に映ったのを覚えています。
当時、料理の編集をはじめて4年位しか経っていなかった僕にとって、「どんな料理編集者になるか?」というのは、とても大きな課題でした。何十年もの間、食の世界を見てきた経験と知識が豊富な先輩編集者や執筆者がたくさんいる業界のなかで、自分らしい切り口や企画をどう作り出していくかということに、答えをだせずにいた時期でもありました。
そんななか、伝統や歴史は浅いながらも、多様性やクリエイティビティ、料理だけではない食の楽しみ方に目を向けた、ヨーロッパとは違ったオーストラリアの食のあり方に、オルタナティブ(主流な方法に変わるもの)な魅力を感じるようになりました。誰かのようになるのではなく、自分自身にあった編集者になればいい。そんなことを考えるようになったのです。
それに思い返してみれば、オーストラリアのレストランやパブのような場所では、世代を問わず、若者もおじいちゃん・おばあちゃんたちも、同じレストランで食事を楽しんでいました。
日本だったら世代によって行く店が異なることが多いのですが、オーストラリアではそういう場面をあまり見かけませんでした。食を楽しむ、人生を楽しむ。どこに行っても歓迎してくれるオーストラリアのハッピーな国民性も、政治も経済も先行きが暗い日本で暮らす僕には、まぶしく映ったのだと思います。
オーストラリアにすっかり魅了されてしまった僕は、それまで注目していたヨーロッパ料理とともに、新しいオルタナティブな存在としてのオーストラリア料理を追いかけることになります。
畜産の未来をリードしていたオーストラリア
「わたしにあう、オージー・ビーフ」の企画を始めることになったのは2020年の春頃、オージー・ビーフやラムのプロモーションを担当しているプロデューサーである小貫誠さんから「えろくさん(江六前の愛称)、連載やりませんか? 何か企画出してくださいよ」というひと声でした。大好きなオーストラリアの記事を連載できるかもしれない。僕にとってはとても光栄なことで、すぐに企画を考え始めました。
しかし、1つだけ気がかりなことがありました。というのも、世界がSDGsへの取り組みを進め、エシカル(倫理的な)消費やアニマル・ウェルフェア(家畜愛護)、ヴィーガン(完全菜食主義者)といったことに配慮をしながら、すべての人を取り残さない世界を目指そうとしています。僕自身は、ヴィーガンではありませんが、エシカル消費やアニマル・ウェルフェアについて賛同していることもあり、とくに環境への負荷がもっとも高く、さらに産業化された肉牛をPRすることに対して、二枚舌を使うようなことにならないだろうかということでした。
そのため企画を立案する前に、オーストラリアの肉牛飼育の実情について改めて調べることにしました。
オーストラリアに行ったときに入国時の検疫検査の厳しさは経験済で、安全管理はもともと厳しい国でもあることは知っていました。現地の取材でも感じたトレーサビリティの徹底はもちろん、肉牛の多くは、広大な牧場のなかで放牧を中心にノビノビと育てられ、日本の和牛にある網目のようなサシを入れるためにビタミンAを抜き、牛に負荷をかけるような飼育もしていません。それらは、倫理的に納得できる飼育状況であることを感じました。
また、とても関心したのは、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする「カーボン・ニュートラル」を、畜産の世界で目指しているということでした。オーストラリアでは、MLAを含む赤身肉・畜産業界は複数の業界団体や政府機関なども巻き込んで、2030年までに温室効果ガス純排出量ゼロをめざす「CN30イニシアティブ」を立ち上げています。
実際オーストラリアでは2019年4月に、カーボン・ニュートラルの基準を満たしたカーボン・ニュートラル・ビーフの販売も始まっていました(ちなみに調べてみるとブラジルでもカーボン・ニュートラルの牛肉が発売されていることもわかりました)。
畜産・酪農とともに炭素排出量の筆頭とされていた車業界では、すでにカーボン・ニュートラルを目指すことは当たり前になり、内燃機エンジンの性能を競うモータースポーツの最高峰のF1(Formula 1)を主宰するFIAですら、未来の価値転換を見据え2014年からFE(Formula E)という電動自動車のカテゴリを展開しています。
世界が環境に配慮した社会を目指すなかで、オーストラリアは畜産の分野で各国をリードする立場にいることを知りました。自分としても、これからの価値観にあった畜産を考える有意義な企画にしていきたいと思うようになったのです。
オージー・ビーフが選択肢の一つになればいい
「私に合う」と「私(に)似合う」の意味をかけた「わたしにあう、オージー・ビーフ」のタイトルは、じつはとても気に入っています。
さまざまな価値観がある今、その一つひとつが尊重される世界になっていくなかで、たとえば「もっともおいしい牛肉はどれか」というように優越をつけることは、まったく意味がないのではないかと思っています。もちろん、そこには世界中の生産者さんや日本のバイヤーさんたちの品質の向上・消費動向の研究や、流通の進歩などもあって、食材のレベルが全体として底上げされ、どれも十分においしくなっているからでもあります。
それなら、オージー・ビーフも世界で一番を争う必要はないのではないか。それよりも、オーストラリアが大事にしている食材の安全管理であったり、放牧を中心にした飼育方法、脂の少ない赤身主体の肉質、そして広大な土地を利用することで誰でも手にすることができるコストパフォーマンスの良さといった部分に魅力を感じてくれるファンを大事にした方がいい。
そんなふうに企画を考えていたなかで、じつは企画タイトルだけはなかなかピンとくるものが浮かばずにいました。どうしようと焦っているときは、リサーチのため本屋に行って人気の本のタイトルからインスピレーションを受けることを僕はよくします。この時も企画提出期限前日の夕方に、近くの書店のベストセラーの棚を眺めていました。
『幸せ上手さん習慣』(星ひとみ著)、『私は私のままで生きることにした』(キム・スヒョン著)『推し、燃ゆ 』(宇佐見りん著)といった本のタイトルを見ていて気付いたのは、自分自身のことを示したタイトルが多いこと。自分自身を大切にしようとする時代の流れを考えながら、連載のタイトルも「私」を主語にしたいと思い、「似合う」と「合う」をかけた言葉を思いつきました。
次回から14回目になる「わたしにあう、オージー・ビーフ」の連載。今回、料理を作らない僕が出たことで、登場する人も幅広くなっていくのではないかと思っています。もちろん、オージー・ビーフに共感し、あえて使っているお店の紹介はこれからもしていきます。一方で、たとえばスポーツ選手の専属料理人でグラスフェッド・ビーフを使っていたり、モデルやタレントさんなどが健康面を考えてオージー・ビーフを選んで食べてたり、シェフだけでなく料理家さんや、学校給食でオージー・ビーフを使っている例なども取材できたらおもしろいのではないかと思っています。
「わたしにあう、オージー・ビーフ」は、世界の牛肉をオージー・ビーフだけにしようと考えたり、牛肉を食べないという選択をした人たちと対立するようなことをしたいわけではありません。食べるものに対して、たくさんの選択肢があり、そしてその選択が尊重される世界のなかで、レストランでも家庭でも、オージー・ビーフが選択肢の一つになればと思っています。
ぜひこれからも、さまざまな人が自分にとってベストだと感じているオージー・ビーフとの物語を楽しんで読んでいただけたら幸いです。