東京・表参道にあるイタリアン・ダイニング「フラテリパラディソ」は、シドニーにある同名店の日本支店です。イタリアの郷土料理をベースに、オーストラリアの自由でビビットな感性を盛り込んだイタリア料理は、東京のダイニングシーンでも異彩を放っています。
シドニー発のイタリアンという珍しいストーリーを持つこのレストランでシェフを務めるのは桶山千尋さん。地元の栃木・那須や都内のイタリアンレストランだけでなく、イタリア本国にも渡って郷土料理を学んできました。「イタリアから直接学んだイタリア料理」を大切にしてきた桶山さんにとって、オーストラリア経由のイタリア料理を表現することに迷った時期があったといいます。
“オーストラリアのフィルター”を知るためにシドニーへ
オーストラリア・シドニーにある本店「フラテリパラディソ(以下、本店)」は、イタリア語で「パラディソ兄弟」を意味する通り、エンリコ・パラディソ氏とジョヴァンニ・パラディソ氏の兄弟とマルコ・アンブロジーノ氏がオーナーです。オペラハウスに近いフードカルチャーの発信地、ポッツポイントに、2001年にオープンしました。3人ともイタリアからの移民で、オーストラリアのフィルターを通したイタリア料理と、ナチュラル(自然派)ワインをいちはやくシドニーに持ち込んだ店として知られています。
東京店は、2017年にオープン。桶山さんは、オープニング時のスーシェフ(副料理長)で、2018年に二代目シェフに就任しました。
桶山千尋さん(以下、桶山)「イタリアでは、ロンバルディア州に1カ月半ほど研修に行ったことはありますが、オーストラリアは初めてでした。『フラテリパラディソ』の料理をやり始めてから、“オーストラリアのフィルター”を通したイタリア料理を作らなければとわかっていても、実際にどのフィルターを通したらいいのかわからずにいたんです」
できるなら早く渡豪したいと考えていた桶山さんに、本店での研修のチャンスが訪れたのは、シェフになって1年後、2019年のことでした。
桶山 「わずか2週間の研修でしたが“フィルター”がなんであるかがわかったと思います。帰国してから、それまで搾りだすように考えていた新作料理が楽に出せるようになったんです」
そのフィルターが何であるかをひと言で言い表すのは難しいと桶山さんはいいますが、オーストラリアの在来野菜やオーガニックの野菜といった食材を強調した盛り付けなど、いくつかは意識してできるようになったともいいます。
桶山 「本店で感じたのは、健康に良い食材を当たり前に使ったり、食の安全性を大事にしているということでした。あとは、野菜の大きさがバラバラだったら、日本では大きさを揃えてお皿の中にきれいにまとめて盛り付けるところを、オーストラリアは大きな野菜は大きいままビョンとお皿から飛び出して盛り付けたりするんです。そこから生まれる生命力のようなものは、オーストラリアのフィルターの一つだと思いました」
移民の国オーストラリアで学んだ多様な食の選択肢
シドニーで働いた桶山さんはオーストラリア人の「外食好き」に驚いたといいます。
桶山 「本店は、オールデイダイニングのレストランで朝早くからお客さまがいらして、さらに夕方にも同じお客さまがパンを買いにいらしたり、ディナーにいらしたりするんです。短い研修期間でしたが何回も同じお客さまをお見かけしました。お気に入りのお店があって、そのお店にいつも行く。そういう文化はいいなと思いました」
オーストラリアの移民の割合は、30.3%(日本は2.2%、ともに2020年、出典:国際連合)。そのなかでイタリア移民は4.5%です。国別ではイギリスがもっとも多く、インドと中国が続きます。イタリアからの移民は、第8位(2020年、出典:オーストラリア統計局)で、ヨーロッパ諸国からではイギリスに次いで2番目。そのためイタリアンレストランも多いのが特徴です。
多様な人種が集まる国であるオーストラリアでは、食事も多様。イタリア料理や日本料理はもちろんインドや中国、東南アジア、さらにはそうした国々の料理をフュージョン(融合)させたイノベーティブな料理も生まれています。それらは、モダン・オーストラリア料理と呼ばれ、ジャンルにとらわれない自由な発想と、オーガニックやサステナブル、ローカリティ(地域性)を重視し、健康的で見た目も美しく華やかな料理が生み出されています。
桶山 「食材も多様でした。たとえば黒毛和種とオーストラリアの牛をかけ合わせた混合種は現地で“WAGYU”と呼ばれ、やわらかくてジューシーで人気でした。一方で、アニマルウェルフェアを支持する人は、牧草牛(グラスフェッドビーフ)を選んで食べたり。さらには、グルテンフリーの食事やベジタリアンやヴィーガン向けのメニューもしっかり用意して、レストラン側も多様な人々に対応していたのも印象的でした」
シドニーで見てきたものをできるだけ取り入れて、日本店でもさまざまなゲストのニーズに対応をしていこうとしています。
ワインとイタリアンの「フラテリパラディソ」にあう葡萄牛
多くの日本のイタリア料理では、メインの肉料理を和牛にすることが多くあります。フラテリパラディソでは、もちろん和牛も用意していますが、ランチからディナーにかけてつねに出し続けている肉は、オーストラリア産の牛肉「葡萄牛」です。
桶山 「本店からオーストラリアの牛肉を使ってほしいといわれているわけではないのですが、塊でドンと肉を焼くなら、個人的に和牛よりも脂(サシ)が少ない赤身主体のオーストラリア産の牛肉の方が好みなんです。塊肉でサシが入っていると、少量しか食べられないんですよ。ディナーコースでは和牛、アラカルトには葡萄牛を用意してお好みで選んでいただけるようにしています」
桶山さんが好んで使う葡萄牛は肉質に優れるアンガス種の牛で、穀物飼料を長期間(220日以上)与えるロンググレイン(長期穀物肥育)の牛です。赤身のなかにも適度に脂が入るだけでなく、ワインを醸造する際に出るブドウのカスを飼料に加えることで、牛が健康的に育ち肉質がきめ細やかく、脂の香りも豊かになります。
桶山 「シドニーでワインとイタリアンのコンセプトで人気になった店というストーリーにもあっていて、しばらくは葡萄牛を使っていきたいと思っています」
2月の夜のアラカルトでは、葡萄牛のリブロース200gをバルサミコ酢をベースにしたソースと、グリルした野菜を合わせてメニューにのせていますが、ほかに煮込み料理でもオーストラリア産の牛肉を使うことがあるといいます。
桶山 「北イタリア・ピエモンテ州の郷土料理に『ブラザート』という牛肉の煮込みがあります。ホホやランプを使う料理ですが、和牛にするとやわらかくなりすぎてしまうんです。その点オーストラリア産の牛肉はちゃんと肉質がしまっていて、煮込み終わっても肉のうま味を感じられます」
コロナ禍が過ぎたらもう一度シドニーにいきたい
桶山 「フラテリパラディソとしては、伝統的な郷土料理を本店のフィルターを通して出していきたいです。シドニー発のイタリアンを唯一無二の武器にしたいですね」
そのためにも、コロナ禍が落ち着いた折には、再度オーストラリアに渡って、現地の食材を見に行きたいといいます。
桶山 「前回は冬だったので、次は夏に行ってその時期の食材をみてみたいです。本店と日本の違いは、やっぱりその時使ってる食材の差じゃないかと思っているんです。オーストラリアに住む本店の彼らが慣れ親しんだ食材と、私たちが知る日本の食材は違うので、知ることができたらよりメニュー作りでの意思疎通がうまくできると思っています」
多様な人々の好みに対応し、心と体に健康的で、上質なのにカジュアル。そんなフラテリパラディソのシドニー発のイタリア料理にこれからも目が離せません。