「オーストラリア産牛肉」とひと言でいっても、たとえば自然のなかで牧草を食べて育った「グラスフェッドビーフ(牧草飼育牛肉)」と、牧草で育った後、出荷されるまでの最後の期間を穀物肥料で肥育された「グレインフェッドビーフ(穀物肥育牛肉)」という大きく分けて2つの育て方があります。さらに、生産者ごとに飼育の方法や飼育環境の違いもあります。
それは、日本各地に牛肉ブランドがあるように、オーストラリアにも多種多様な牛肉があるということです。銀座の商業施設「銀座シックス」内のオーストラリア料理専門レストラン「Ironbark Grill & Bar(アイアンバーク グリル・アンド・バー)」では、そうしたオーストラリア産牛肉の多様性を味わってもらいたいと、常時3種類以上のオーストラリア産牛肉をメニューに組み入れているレストランです。
オーストラリア産牛肉の多様な世界
タスマニア産のオーシャントラウト(マス)やオイスター、オマール海老などのシーフードのほか、ラム肉やワイン、ハチミツなどのオーストラリア産の食材を使った料理が並ぶIronbark Grill & Barのメニューのなかで、牛肉料理はメイン料理。この日の取材時は、緊急事態宣言下ということもあり少ないということですが、それでも3種類のオーストラリア産牛肉がメニューにありました。
「クイーンズランド州産プレミアムナチュラルビーフ ミスジ」は、バラ(焼肉でいう「カルビ」)に近い肩肉で、赤身と脂身のバランスが良い稀少な部位です。ケアンズやゴールドコーストといった自然豊かなクイーンズランド州の牧場で飼育中に成長ホルモン剤や抗生物質を投与せずに育てられた牛肉です。
「日本の和牛を親にもつ交配種(F1)であり、和牛のようにサシが入りやすいのが特徴です。牧草を食べて育った後に、穀物肥育に切り替えてサシを入れていくグレインフェッドビーフでもあります。そのため赤身と脂身、両方のおいしさを楽しむことができます」とIronbark Grill & Barのシェフ、齋藤拓也さんは言います。
続いて「ヴィクトリア州産オコナービーフ フィレ 牧草牛」は、牧草だけを食べて育ったグラスフェッドビーフのなかでも「パスチャーフェッド」と呼ばれる希少な牛肉です。ミネラル分が豊富なクローバーやビタミン類が多いライグラスなどの栄養価の高い牧草を植えた牧草地で牛が育つため、香り高く味わい深いのが特徴です。
オコナー社のパスチャーフェッドビーフも、成長ホルモン剤や抗生物質の投与がなく、牧草地には残留農薬もありません。「とてもやわらかいフィレの部位を使っていますので、お客様から『これがオージー・ビーフなんですか?』と驚きのお声をいただくことがあります」とマネージャーの根岸和孝さん。
ほかにも、グレインフェッドのなかでも穀物肥育期間が200日から250日間と長い「ロンググレイン」という肥育方法を採用した牛肉も用意。この牛肉は、穀物のなかにブドウを混ぜて育てられています。部位は、リブアイ(リブロースの芯の部分)。このようにIronbark Grill & Barでは、飼育方法だけでなく、部位もバラエティーに富んでいるのが特徴で、ゲストの好みによって選べるようになっています。
齋藤シェフ(以下、齋藤) 「オーストラリア産牛肉には、安価なイメージがありますが、食べてみると和牛とは違った脂のサラッとした質感と赤身肉らしい強い旨味があります。もちろんそのひと言だけでは説明できない地域や育て方による違いもあります。安全性も含めた多様な牛肉のなかから、そのお肉のポテンシャルをお客様に伝えていくのが僕の使命だと思っています」
日本人がオーストラリア料理をどう表現するか
フランス料理であればフォアグラやオマール海老などの高級食材をソースとともに美しく盛り付けたり、イタリア料理であればパスタやピッツァとともに、素材を活かす調理をしたりするイメージが多くの人にあると思います。
しかし「オーストラリア料理」といって多くの人が共有するイメージは、まだありません。オーストラリア料理とはいったいどんなものなのでしょうか?
齋藤 「大きな塊肉を焼いたり、山盛りのシーフード料理だったり、そんなイメージを持つ人もいるかもしれませんが、『オーストラリア料理とはこの料理です』と呼べるものは、じつはないんです。逆にいえば、いろいろな国の料理がある。それは、さまざまな人種が暮らす移民の国であるオーストラリアそのものの姿でもあります。イタリア料理のように野菜とオリーブオイル、塩で食べるような料理もあれば、インド料理のようにドライスパイスを多用したり、東アジア料理のようにフレッシュスパイスや発酵食品を使ったり。日本の柚子や味噌、醤油なども当たり前に使うような様々な文化がミックスされた自由な料理といえると思います」
じつはこの「オーストラリア料理とは何か?」という問いは、長く齋藤シェフを悩ませてきました。Ironbark Grill & Barのオープン当初は、齋藤シェフと、もう一人オーストラリア人シェフとのダブルシェフ体制をとっていたため、「オーストラリア人シェフが作ればオーストラリア料理なる」こともあって今ほど深く考える必要はありませんでしたが、3年前に齋藤シェフ一人になると、その問いに深く向き合うことになります。
齋藤 「オーストラリア人だったら『オーストラリア料理に条件なんてない』って言い切れると思うんですけど、日本人である僕たちがやるにはどうしたらいいのか。自分の色を出すのがいいのか、よりオーストラリアの食材にこだわるのがいいのか。でも、オーストラリアの料理人に『こだわり』すらないですからね(笑)。それより、自由であることの方が大切なんです。だからこだわろうとすればするほど、オーストラリア料理じゃなくなってしまうことに気付いてから、自分が日本人であることを自然に出そうと思うようになりました。今まで培ってきたものや、オーストラリア人とやってきたエッセンスを入れられたら、おもしろいかなと考えるようになりました」
その象徴的なひと皿がコース料理の食事の最後に出す「肉茶漬け ウズラの卵 紫蘇 コンソメ」です。表面をさっと焼いただけのオーストラリア産の牛肉を焼きリゾットの上にのせ、ウズラの卵の黄身と紫蘇をあしらい、仕上げに熱々のコンソメスープをまわしかける日本のお茶漬けをイメージさせる料理です。
アミューズから前菜、メイン料理と続いたあと、ヨーロッパのコース料理ではデザートになるところに、日本の会席料理のコースにある「食事」、いわゆる”締め”としてお茶漬けを挟み込むことで日本らしさを加えたオーストラリア料理を作り上げています。
カジュアル、人に近いレストランで働きたい
シェフの齋藤さんと支配人の根岸さんは、経歴も入店時期も違いますが、ともにホテル内のレストランで働いてたことは共通しています。とくに根岸支配人は、ホテル以外にも街場のレストランなど、フランス料理のサービスを長く続けており、2021年1月にIronbark Grill & Barのメンバーになったばかりです。
根岸マネージャー(以下、根岸) 「ホテルで世界の一流を知ったお客様にサービスをするのは、やはり刺激的ですし、いい緊張感もあります。しかし一方で、週に何度もお会いできるというわけではありません。私としてはもう少しカジュアルなお店で、お客様とお互いにお顔もお名前も覚えて呼びあったり、たまにお土産を渡しあったりできるような、より近い関係でサービスする方が自分にあっていると思い、お店に移ってきました」
齋藤シェフも、料理人としてのキャリアのスタートはフランス料理の料理人で、ホテルに勤めていました。7年ほど勤めたのちに、違う世界を見てみたいと思っていた時期に東京の新丸ビルに2007年にオープンすることになるオーストラリアのスターシェフ、ルーク・マンガン氏のレストラン「salt by luke mangan(ソルト バイ・ルーク・マンガン)」(現・Wattle Tokyo ワトルトーキョー)の求人を目にしたといいます。
齋藤 「オーストラリア料理といわれても、何もわからなかったですし、今となっては笑い話ですが、ルーク・マンガンと言われてもわかっていませんでした。求人には『Good Food, Good Music』ってなぜか書いてあったのも驚きで(笑)。グランドオープン前のプレ営業に食べに行ったんです。そこで、そのあと一緒に働くことになるオーストラリア人のシェフもいて。コック帽もかぶらす、金髪の坊主頭で料理していましたね。カジュアルな感じがかっこよく見えて、とにかく楽しそうだなと思ったんです」
salt by luke manganでは、料理人に対する待遇の高さも感じたといいます。
齋藤 「本当に小さなことですが、店のバックヤードにスタッフが自由に飲める専用のドリンクバーがあったんです。海外では、料理人に対してこんなにケアするんだ、と驚いたのを覚えています。今までの職場にはありませんでしたから。スタッフに対するケアが海外は進んでいることを感じましたね、リラックスして当然で、それは緊張感がない意味ではなくて、リラックスして楽しく仕事することが良い仕事を生むっていうことなのだと思います」
料理のメニューや食材としてのオーストラリア料理だけでなく、スタッフがリラックスして、楽しく仕事ができる雰囲気もオーストラリア料理である大事な要素であるといえます。
オージー・ビーフがなければオーストラリア料理は成り立たない
リラックスして明るく、ハッピーな人生を楽しむというオーストラリアという国民性をIronbark Grill & Barを多くの人に体験してもらいたいと根岸支配人は言います。
根岸 「シェフの齋藤とも話していますが、当店はカジュアルなお店ですので、『ラフに』っていうのは、ひとつのキーワードだと思っています。ただし、馴れ馴れしくなってはいけません。フランクにするのは簡単なので、少し堅いくらいでちょうどいいかなと思っています。今は、コロナの影響で元気な声を出してお出迎えするということはできませんが、『いらっしゃいませ』から始まるサービスは、大事にしています。そういったリラックスした雰囲気のなかで、オーストラリアの食材を楽しんでもらうことがオーストラリア料理を楽しむということなのではないかなと思っています」
さまざまな国の文化が重なり合い、それぞれを尊重しながら暮らすオーストラリアの文化そのものを表現することがオーストラリア料理だとすれば、そのなかで自分たちらしく、日本の文化で育った経験を素直に表現していくことが日本人が表現するオーストラリア料理なのではないか、そんなメッセージが齋藤シェフと根岸支配人が支えるIronbark Grill & Barから伝わってきます。
齋藤 「そのなかでもオージー・ビーフは、オーストラリア料理を続けていくにあたって大きなアイコン、中心にあるものかなと思います。オージー・ビーフがなくなったら、オーストラリア料理といえないのではないかというくらい、大きな存在ですし、お客様にとってもオージー・ビーフはオーストラリアの食の象徴です。だからこそ、多様なオージー・ビーフの価値観、立ち位置を知ってもらいたいですし、その価値を上げられるような働きをしたいと思っています」
Ironbark Grill & Barなら、「あなたにあう、オージー・ビーフ」に出会えるはずです。