美しい海や琉球文化に彩られた沖縄は、日本でも有数の観光地です。沖縄そばや泡盛、本州では見られない海産物など、沖縄特有の食事も旅の目的の一つになっています。
一方で、意外と知られていないのがステーキ店の多さです。人口10万人当たりのステーキ店数の第1位は沖縄で10.21店。全国平均の3倍(株式会社ブルームーンパートナーズ、2023年調べ)にもなる、日本一のステーキ県なのです。
しかも、深夜の飲み会帰りの人々の間では、ラーメンではなくステーキを食べる「締めステーキ」という独特の文化もあります。
那覇市随一の歓楽街である松山には、バーやクラブに引けをとらないほどステーキ店が密集しています。いくつものチェーン店舗をもつステーキ店が並ぶ激戦区で、2017年の開店以来「沖縄初オーストラリア産WAGYU専門店」の文字と写真が目を引く巨大な看板で客を呼び寄せるのは、亀谷光さんがオーナーを務める人気店「ステーキ ヒカル」です。
ステーキ県沖縄でオーストラリア産WAGYUを全面に押し出す
ステーキ ヒカルのオープンは11時。昼時になると周辺のサラリーマンが次々に入店してきます。それから休むことなく16時間以上、翌日の明け方3時30分まで店は営業をし続けます(金・土は朝5時30分まで)。「そんなに長い時間営業してどうするんだ?」と感じるかもしれませんが、オーナーの亀谷光さんによると、もっとも店が混むのはなんと23時を過ぎてから。沖縄の「締めのステーキ」伝説は、本当にあったのです。
アメリカのステーキショップのような木目調の店内に入ると、すぐ左に券売機があります。店名を冠した「ヒカル ステーキ」のほか、カイノミやハラミ、肩ロースなどのステーキのメニューが並ぶほか、100gから300gまでサイズを選んで購入することができます。牛肉はすべて、看板に書かれていたオーストラリア産WAGYUです。
オーストラリア産WAGYUとは、日本の和牛品種(黒毛和種など)に他の品種をかけ合わせた種類のこと。オーストラリアWagyu協会(Australian Wagyu Association:AWA)では、和牛遺伝子の交配割合が50%以上のものをWAGYUと呼ぶことにしています。
ステーキヒカルが取り扱うオーストラリア産WAGYUは、黒毛和種とオーストラリア産牛(ホルスタインなど)の交配牛。ロンググレインフェッドビーフ(長期穀物肥育牛)で、通常は放牧の後、150日から200日かけて穀物肥育が行われるところを、その2倍以上に相当する400日以上かけてたっぷりと穀物で肥育しています。
亀谷光さん(以下、亀谷)「赤身の中に和牛のようなサシが入るのが特徴です。当店のオリジナルソース『ヒカルソース』にもっとも合う肉が、オーストラリア産WAGYUなのです」
黒毛和種を中心に、日本の和牛の美しく入ったサシと、食べたときのうま味と脂の香りは、これまでの歴史と生産者や業界の努力によって世界に誇れる食材になったと亀谷さん。焼肉やすきやき、しゃぶしゃぶなどは、和牛をもっともおいしく食べられる料理です。
一方で、塊肉で食べるステーキは、和牛、とくに黒毛和種をつかうと最大の特徴である香り高い脂が、重たさに感じてしまうことが多いといいます。
亀谷 「個人的に、サシの多い和牛のステーキをたくさん食べるのはきついというのもあります。ステーキにするなら赤身主体の外国産の牛肉がいい。さらにアメリカ産などの外国産牛肉に比べてクセがないので、オーストラリア産にしたいと考えていました。グラスフェッドビーフ(牧草飼育牛)なども試してみたなかで、お肉屋さんの紹介でWAGYUに出会いました。すでに完成していたヒカルソースとの相性ももっともよく『これだ!』と即決。お肉が決まった瞬間、ステーキ ヒカルのピースがすべて揃ったのです」
どこのソースにも負けないヒカルソースの完成
ステーキ ヒカルを人気店にしたのは、オーストラリア産WAGYUだけではありません。「ステーキソースが完成しない限り、ステーキ店は出さない」という決意のもと、亀谷さんが2年以上の歳月をかけて完成させた「ヒカルソース」は、ステーキ激戦区那覇市松山にあって、他店との差別化を図るものでもあります。
開発は、亀谷さんがステーキ店を出す前に、飲食店経営の勉強として開店させた喫茶店時代にさかのぼります。那覇市の焼肉店「疾風ホルモン」で1年半ほど修業し、肉のおいしさ、楽しさを覚えたとともに、タレ・ソースの重要性を学んだといいます。
亀谷 「牛肉を焼いて食べるという点で焼肉とステーキは似ていますが、焼いた肉が鉄板にのって運ばれてくるステーキに比べ、焼肉はいろいろな部位を少量ずつ楽しめたり、お客様も好きな焼き加減に自分で調整できます。とくにタレについては、焼肉はかなり進化しています。だけどステーキのソースは、ずっと同じ。だからこそ、ステーキ店をするなら、どんな肉にもあう完璧なソースを作りたいと考えたんです」
ソースのイメージは、ステーキを焼いたときに出る肉汁との相乗効果を生み出すようなもの。さまざまな食材が入ったソースのベースはタマネギで、粗みじんにしただけでなく、すりおろしたタマネギも加えるなど、味わいだけでなく粘度にも注意を払い試作をしていったといいます。
亀谷 「肉を咀嚼するときに、サラリとしたソースだと肉に絡みにくく、口のなかに流れてしまいます。そこで、ある程度の量が肉に付き、咀嚼中も口のなかで滞留するような粘度のソースにすることで、ソースの後味が残り、先味と後味までしっかり楽しめるソースになります」
また、ある程度の酸味がないと味の持続性を感じにくいと感じていた亀谷さんは、バルサミコ酢を加えるなど、酸のバランスの研究も繰りかえしました。そのなかで材料の一つだった穀物酢をリンゴ酢に変更したことで、まろやかさが生まれ、グンと味わいに奥行きが生まれました。こうして、亀谷さんがどこのステーキ店のソースにも負けないというヒカルソースが完成し、店のオープンが具体的に動き出したのです。
ハレと日常の間の選択肢にヒカル ステーキがなれればいい
亀谷さんが、ここまでソースにこだわったのは、幼少期に体験した家庭用のステーキソースに苦手意識があったことがきっかけです。
亀谷 「沖縄の家庭には必ず1本はあると言われるほど有名なステーキソース『A1(エー・ワン)ソース』があります。亀谷家もそうだったのですが、家庭では安くて硬い輸入牛を買って食べるときに、このA1ソースをかけて食べるんです。ですが、このソースの味がどうも自分には合わなかったんです」
トマトをベースにタマネギなどの野菜を加えたA1ソースは、醸造酢の酸味がキリリとたった味わいが特徴です。この強い酸味が苦手で、ステーキ自体も苦手に感じるようになってしまいました。
むしろタレや食べ方の選択肢が多い焼肉の方が好物だった亀谷さんは、沖縄の人気焼肉店「疾風ホルモン」に入って、肉料理業界に入った後、独立を考えはじめます。その時に、大好きな焼肉店ではなくステーキ店を選んだのは、この「苦手意識」がかえってステーキ激戦区で戦えるオリジナリティになるのではないかと感じたからです。
亀谷 「沖縄県民に支持が厚くても、僕にとっては苦手なA1ソース。それを否定するのではなく、自分が苦手だと感じる部分を取りのぞいていけば、沖縄県民に受けいれられるオリジナルソースが完成するのではないかと考えました。ですので、ヒカルソースの開発のスタートは、徹底的にA1ソースを研究することでした」
今後は、WAGYUを含むオーストラリア産ビーフのステーキ専門店として、そのおいしさや、安全性をさらに広めていきたいと亀谷さんはいいます。
亀谷 「国産の和牛しか知らないという方は、沖縄にも多くいらっしゃいます。海外にもこんなに食べやすくて、比較的リーズナブルな肉があるという選択肢をお伝えできたらと思います。ハレの日が国産和牛で、普段は、スーパーで輸入牛を買って食べるという二択しかなかったなかで、その中間の位置にステーキヒカルで食べられるオーストラリア産WAGYUのステーキがなれたらいいですよね」
おいしさに対する選択肢の多さは、人生の豊かさに繋がると亀谷さん。亀谷さん自身が、A1ソースの選択しかなかったステーキへの疑問から、かえってステーキに可能性を感じ、店まで出したことが、まさにそれを体現しているといえます。オーストラリア産WAGYUというステーキ激戦区での新しい選択肢が、沖縄のステーキ文化をさらに深め、おいしさを未来に繋いでいくことになるはずです。