東京・表参道のランドマークといえるAoビルの5階、「TWO ROOMS グリル|バー」(以下、 TWO ROOMS)があるフロアでエレベーターの扉が開くと、ガラス張りの開放的な空間が迎えてくれます。落ち着いた雰囲気のレセプションを過ぎると、左側にはレストラン・エリアが、右側のガラス張りの渡り廊下を抜けた先には、バー・エリアと天空の池に面したウォーター・テラスが広がっています。
2つの異なるコンセプトのエリアをもつことから“TWO ROOMS”の名がついたレストランのオーナーシェフは、オーストラリア出身のマシュー・クラブさん。2009年にオープンして以来、「コンテンポラリー・シーズナル・グリル」をコンセプトに、移り変わりの激しい東京のレストラン・シーンで支持を集め続ける名店です。
2001年に初来日し、今年で21年。故郷のオーストラリアだけでなく、イギリスやアメリカ、メキシコなどで活躍し、世界のレストラン・シーンを知るクラブさんが東京で店を開いた理由、そしてオーストラリア産ビーフへの思いを話してもらいました。
アッパークラス向けではない日常的に利用できるレストラン
青山通りに面したTWO ROOMSのレストラン・エリアは、オープンキッチンで、大きな鉄板やグリル板を使って旬の食材を焼き上げます。
メニューは、「北海道産 ホタテの鉄板焼き EVOO 柚子胡椒ホイップ アボカド ベーコンダスト」のように意外な食材を組み合わる料理や、「オーストラリア NSW州レンジャーズバレー キューブロール」のようなシンプルなグリル料理もありますが、どちらも食材の良さを伝えたいというクラブさんの思いが伝わる、食材中心の料理です。
一方のバー・エリアは、ガラッとシックな大人の雰囲気。夜になるとウォーター・テラスに反射した光がキラキラと輝き、渋谷の夜景とともにロマンチックな雰囲気を生み出します。レストランで食事を楽しんだ後に、部屋を移動してバー・エリアでカクテルを楽しむ。夜をたっぷりと満喫できるのは、TWO ROOMSならではの楽しみ方です。
「TWO ROOMSがオープンした2009年頃、上質ではあるけど、特定のアッパークラス向けのダイニングではなく、日常的にカジュアルに利用できるようなレストランは、まだ日本に少なかったんです。いつもよりドレスアップして出かけたくなるような気持ちのいいレストランを作りたいと考えました」とクラブさんは、オープン当時のことを振り返ります。
確かにフランス料理やイタリア料理のレストランやビストロ、トラットリアといった日本人向けの外国料理店は当時からありましたが、世界の主要都市にあるような、国籍やジャンルを超えたレストランは、日本にはまだ多くありませんでした。
もともと移民の国でさまざまな国の人々が暮らすオーストラリアに生まれ、イギリスやアメリカといったグローバル社会をリードする国のレストランでシェフを勤めてきたクラブさんにとっては、当たり前にあった多様性を尊重したレストラン。それを東京に開こうというのが、TWO ROOMSのオープンした背景にあります。
野生のコアラが現れる自然豊かな村から世界のキッチンへ
シドニーから北西におよそ40㎞離れたケントハーストという村で幼少期を過ごしたクラブさん。ひょいと野生のコアラが現れるような豊かな自然が広がる村で、面積はおよそ46㎢。東京の江東区と同じ広さに5,000人ほどの人々が暮らしています。動物が好きな両親だったこともあり、馬や鶏、犬や猫、山羊といった動物たちと過ごした思い出が今も強く残っているとクラブさんは話します。
オーストラリアの教育制度は州によって変わりますが、5歳か6歳から義務教育が始まり、15歳で前期中等教育(Year10)を修了すると、15歳で進学か就職を選ぶことになります。クラブさんがこの頃憧れていたのが「シェフ」。ケントハーストからシドニーの製菓コースがある専門学校に進むと、在学中の17歳のころから、シドニーにあるレストラン「バルタザール(Balthzar)」に⾒習いシェフとして入り、料理人人生をスタートさせます。
マシュー・クラブさん(以下、クラブ)「バルタザールの後は、シドニーよりも小さな都市ですが食文化が成熟しているメルボルンに移って、オーストラリアでもトップレストランの一つ『ブラウンズ(Browns)』に入りました。30席ほどのフレンチレストランでしたが、キッチンスタッフが8名、サービスが4人もいて、ファインダイニング(高級レストラン)の素晴らしさを学ぶことができました」
しかし、ブラウンズの経営方針の変更でレストラン部門がなくなると次のレストランを探すことになります。店からは、「希望する店があるなら紹介する」といわれたクラブさんは、「料理人として海外で活躍したい」という夢を叶えようと、当時オーストラリア国内だけでなく、世界でも高い評価を受けはじめていた「テツヤズ(TETSUYA’S)」に入り、スーシェフ(副料理長)として1年半にわたって腕を磨きます。
クラブ 「僕が入ったのは1994年でまだ24歳。当時のテツヤズは、間違いなくオーストラリアでトップのレストランでした。まだシドニー西部郊外のロゼールという場所の一軒家レストランだった頃。もともと日本に好意をもっていましたし、テツヤ(和久田哲也)さんから、素材の良さを引き出すテクニックや、さまざまな国の料理を取り込む考え方やセンスを学ぶことができました」
そして遂に、海外でチャレンジするチャンスがクラブさんに訪れます。イギリス・ロンドンにある当時気鋭のフレンチレストラン「ピエ ダ テール(Pied a Terre)」に入ることになるのです。
クラブ 「初めての国外で働くことに不安もありましたが、テツヤさんから『ダメだったらいつでもTETSUYA’Sに戻ってきていいから』といってもらえて、帰る場所があると安心したことを覚えています。それから結局、オーストラリアに帰ることなく、アメリカ、メキシコと渡り歩くことになりますが、どんな場所にいても『チャンスは自分で掴み取らないといけない。そのためには常にベストを尽くそう』という気持ちでやってきました」
日本の四季と食材に触れ独立を決心する
1998年、28歳の時にアメリカから渡ったメキシコでは、高級リゾート地にあるホテル「ハシエンダ オブ ユカタン(Haciendas of Yukatan)」の総料理長に抜擢され、同グループが運営する「ザ・カレイエス(The Careyes)」でも同職を務めます。
クラブ 「自然の中にあるホテルで、すごく美しい場所でした。キラキラと輝く星空は今でも心に残っています。なにしろ蛇やサソリなどが出るくらい自然が豊かでした(笑)。都市で料理することとは違い、自然のなかで料理ができることの喜びを知ることができました」
そして2001年、31歳になる年にクラブさんは、初めて来⽇し西新宿のパークハイアット東京のレストラン「ニューヨークグリル」の料理⻑として日本で仕事を始めます。2005年には、35歳の若さで総料理⻑に任命され、ハイアットリージェンシー京都の開業のため京都に移り住むことになります。
クラブ 「世界のさまざまな国で仕事をしてきて、初めは、日本もその一つの国で、3、4年もしたら次の仕事のために離れてしまうと思っていたのですが、気付いたらもう21年になります(笑)」
とくに日本に惹かれたのは、京都での3年間だったといいます。⽇本の伝統⽂化だけでなく、都市と生活が密着した地方都市ならではの地元のコミュニティに触れながら、⼯芸家やアーティストともコラボレーションする貴重な機会を得たといいます。
クラブ 「日本の⾃然や食に彩られた四季の暮らし、地元の⾷材を⼤切に扱う伝統⽂化など、それまで働いてきた国とはまた違った魅力があり、日本が好きになりました」
もともと自分の店を持ちたいと考えていたクラブさんは、ハイアットリージェンシー京都の開業を総料理長という立場で成功させたことで、ホテルシェフとしての仕事にひと区切りをつけ、東京で独立することを決めたのです。
オージー・ビーフは、世界中の人々が安心して食べられる食材
冒頭にも紹介したTWO ROOMSのコンセプトである「コンテンポラリー・シーズナル・グリル」は、オーストラリアの自然豊かな村で育ち、植物や動物たちにインスピレーションを受けながら長い間料理をしてきたクラブさんらしい料理のコンセプトです。
日本だけでなく世界の旬の食材の良さをフレンチでもイタリアンでも、アメリカンでもない、クラブさんならではの視点やテクニックで調理する。型におさまろうとしないシェフのクリエイティビティは、カジュアルで自由な雰囲気に包まれています。
それは、故郷のオーストラリアのおおらかさや、移民の国であるからこその多様な価値観を認め合おうとする国民性にも通じるものでもあります。
クラブ 「オーストラリア出身ですが、オーストラリアの食材だけを使っているわけではありません。お肉でいえば、牛肉だけでなくラム肉や日本の地鶏もメニューにあります。牛肉もオーストラリア産以外でも、アメリカ産や日本の和牛も使っています。もちろん、オーストラリア産ビーフの赤身のおいしさは、オーストラリア産ならではだと思いますし、私自身も大好きです。」
クラブさんは、これまでさまざまな国のゲストが訪れるレストランで働いてきました。そこにくるゲストは、宗教や考え方もバラバラ。そうした中ですべてのゲストに気持ちよく過ごしてもらうためには、さまざまな選択肢を用意しておくことが大切なことでした。
オーストラリア産ビーフは、その味わいだけでなく、飼育環境やトレーサビリティの管理などの良さを価値と考える層も多く、故郷の食材であることを差し引いても、世界で求められている食材としてTWO ROOMSのメニューに入れています。
「オーストラリア産のビーフは、世界の人々が安心して気持ちよく食べられる食材の一つです」とクラブさん。味わいだけでなく、信頼できる食材であることは、グローバルな社会では価値があることなのです。