4月上旬、東京・明治神宮前のレストラン「eatrip」で、オーストラリア・シドニーから一時帰国したフレンチシェフ、吉野勝二さんのポップアップ(期間限定)イベントが2日間にわたって開かれました。
日本の食材に、タスマニア産のチーズ「トリプル・ブリー」や在来ハーブ「レモンマートル」といったオーストラリアの食材をあわせた料理11品からなるコースは、在豪6年という吉野さんならではのフレンチとモダン・オーストラリア料理を高次元で融合させた唯一無二の料理でした。
なかでも印象的だったのは、メインの肉料理「豪州産WAGYU 焼き牡蠣のソース」です。海外から来日しフェアをする料理人は、日本ならではの食材として和牛を選ぶことが多いなかで吉野さんは、オーストラリア産の牛肉をメインの肉料理に使っていました。
Gundooee Organicsの豪州産オーガニックWAGYU
ポップアップイベントも終盤になり、いよいよメインの肉料理が運ばれてきます。オーストラリアで広く育てられている和牛をルーツにもつF1(交雑)種で、日本では豪州産WAGYUと呼ばれる牛肉を90日間熟成庫でドライエイジング(乾燥熟成)ビーフが皿の上に美しく盛りつけられています。
仕上げにテーブルで吉野さん自ら、牛肉の淡いうま味をベースに、焼いた牡蠣の風味を移したソースをまわしかけます。
吉野勝二さん(以下、吉野)「日本の食材を使った料理なら、日本で毎日営業されているレストランの方がおいしく料理できますよね。普段オーストラリアで料理している僕に求められて、さらにもっとも実力が発揮できるのは、オーストラリアにある食材を扱うことだと思うんです」
とくにオーストラリア産の牛肉は、日本では、安くて親しみやすい牛肉の代表ですが、グラスフェッドビーフ(牧草飼育牛)やグレインフェッドビーフ(穀物肥育牛)など、さまざまな育て方があることは、まだまだ知られていません。さらに豪州産WAGYUのように輸出向けの牛肉のなかには、世界のファインダイニング(高級レストラン)にも使われているプレミアムな牛肉もあります。
「オージー・ビーフの良さを伝えたかった」という吉野さんが、今回日本のゲストたちに紹介したのは、豪州産WAGYUのフルブラッド。黒毛和種とスコットランド原産の肉用種アンガス種のかけ合わせを30年ほど続けたことで、限りなく黒毛和種に近づけた牛肉です。育ったのはシドニーから車で4時間以上、グルバーン・リバー国立公園の北東にある農場「Gundooee Organics(グンドーズ・オーガニクス)」です。
吉野 「日本の黒毛和種は、基本的に牛舎のなかで一生を過ごしますが、オーストラリアではWAGYUも含めて放牧を中心にノビノビと育てます。とくにGundooee Organicsは、日本では考えられないような大自然のなか、農場に生えている草だけを食べ続けたグラスフェッドです。農薬なども一切使ってないオーストラリア国内でオーガニック認証を受けた農場で完全放牧されています。日本の冬では、牛が外で冬を越せませんから、どうしても牛舎に入る期間があるのですが、Gundooee Organicsではそれがない。限りなく野生に近い環境で育った牛なんです」
サステナブルな畜産のために生産者と共存して料理をする
地球環境に配慮したオーガニックな畜産というだけでなく、牛に出来るかぎりストレスを与えない飼育環境を目指すアニマルウェルフェア(動物福祉)にも配慮したGundooee Organicsの姿勢に吉野さんは、大いに共感するといいます。
とくにGundooee Organicsの農場長であるRob Lennon(ロブ・レノン)さんは、農場の経営のほか社会福祉にも積極的に関わっています。ホームレスなど恵まれない環境にいる子どもたちに、農業参加を通じて社会に復帰させようとする慈善団体「A Taste of Paradise Organic farm」を支援しているのです。吉野さんは、レノンさんの取り組みに共感する一方で、「日本では驚かれるかもしれませんが、オーストラリアでは、当たり前のことでもあります」といいます。
吉野 「僕自身もオーストラリアに来て、さらに考えるようになったのは、料理人がおいしい料理をつくるという役割とは別に、社会に生きる人間として、何かを社会に還元しなければいけないということです。Gundooee Organicsの肉を使ったのもそんな思いからで、食べおわったお客様に『おいしかった』や『楽しかった』という感想とともに、『良いことをした』というGiver(与える人)になって帰っていただきたい。それは、僕が料理をするうえで大切にしてるコンセプトでもあります」
とはいえ、Gundooee OrganicsのオーガニックWAGYUは、決してマーケットで広く支持されている牛肉ではないと、吉野さんはいいます。流通量や価格の面のほか、個性的な肉質上の扱いにくさなど、さまざまな理由があるなかでも吉野さんは、完全放牧だからこそ「品質が安定しない」という点をあげます。
吉野 「牧草をたくさん食べてよく育った牛もいれば、そうでない牛もいます。運動量もみんな違って、筋肉質な牛もいれば、そうでない牛もいる。つまりレストランにとって理想的な肉質に育った牛もいれば、出しにくい肉質に育った牛もいるわけです。前者の牛肉をオーストラリア国外で高く買ってもらって、生産者によい対価が支払われればいいと思う一方で、僕は、後者の高く買ってもらえない牛肉を買って、手をかけておいしく料理することで、生産者と共存していきたいと考えています」
実際、日本でのイベントで使ったオーガニックWAGYUの仕上がりは、「真ん中よりも下くらい」だったと吉野さん。それでも、放牧でストレスがなく、和牛のようなサシ(脂)も少ない熟成向きの牛肉を、90日間という長期ドライエイジングを施すことで、シルキーでやわらかさがある肉質にまで仕上げてられています。
吉野さんは、熟成期間をさらに長くた方がよかったと思う一方で、「だから使えない」と拒否するのではなく、育てた農場と熟成をした肉屋が繋いできた一頭たりとも無駄にせずおいしく食べてもらいたいという願いを受け継ぎ、牛肉に手をかけることでひと皿に仕上げようと考えました。
食料自給率200%の畜産・農業の国に惹かれた
調理師専門学校を卒業後、フランスに留学し、レストラン研修を経て帰国した吉野さんは、20代で「トロワグロ」や「ピエール・ガニェール」といった星付きレストランで腕を磨きます。さらに25歳で再び渡仏すると、1760年にパリで創業し、古くはナポレオンやヴィクトル・ユゴーといった人物が顧客だったという老舗「Le Grand Vefour(ル・グラン・ヴェフール)」や、同じくパリにあるミシュランガイド二つ星で、シェフの名を冠したレストラン「David Toutain(ダヴィッド・トゥタン)」、南仏カンヌ近郊、ムージャン村にある世界的に有名な「Le Moulin de Mougins(ル・ムーラン・ド・ムージャン)」といったレストランで修業を重ねていきます。
吉野 「2度目のフランスで2、3年働いてみて感じたのは、経済とともに世界のファインダイニング(高級レストラン)が動いていくのがわかったんです。僕は、日本に戻りましたが、フランスで一緒に働いていた同僚たちは、北欧にいったり、アメリカにいったりして挑戦する姿を見て、僕が次に働くのは、日本でもフランスでもないと感じたんです」
歴史あるフランス料理の本流を歩んできた吉野さんが、帰国後、1年限定で日本で働いたのち、30歳の節目の年に3度目の海外挑戦に選んだ渡航先が、食の世界では後進国と言わざるを得ないオーストラリアでした。
1年間、北欧やニューヨーク、シンガポールといった世界最先端の美食都市を視察していった吉野さん。シンガポールからは、シェフ就任の具体的なオファーもありました。そんなある日、友人でオーストラリアにゆかりのある料理人、森枝幹氏から連絡があり、オーストラリアへの旅を勧められます。
吉野 「幹くんは、僕がオーストラリアに向いているというんです。それを信じて行ってみると、まず感じたのは畜産・農業の国だったということです。食料自給率は200%、ちなみにオファーのあったシンガポールは自給率0%。フランス料理は、その土地にある食材を使って料理をするということを大事にしますし、僕自身も生産者さんの近くで仕事をしたいという思いもありますので、一気にオーストラリアに惹かれるようになりました」
そして視察旅行から帰った吉野さんは、オーストラリア行きを決意。2017年、妻とともに海を渡り、メルボルンでの活動をスタートさせます。
和牛とWAGYUは、そもそも育て方のデザインが違う
オーストラリアで6年。吉野さんは、多民族国家ならではの多様性を食の世界でも強く感じたといいます。
吉野 「スーパーマーケットを見ていても、オーガニックやグルテンフリー、ヴィーガン、ハラル向けの食材があって、とくにオーガニックコーナーはどこにも必ずあります。もちろんその分値段が高いのは日本と変わらないですが、異なる宗教や考え方をもつ人々が選べる選択肢が必ずある。日本のようにオーガニック専門店ではなく日常使いのスーパーに選択肢が用意されているんです」
さまざまな価値観を認め合って共存していくことがオーストラリアでは当たり前に存在しています。それは、吉野さんが日本でのポップアップイベントで使ったGundooee Organicsのようにオーガニックな完全放牧牛もあれば、日本などへの輸出向けに安定した肉質や、消費国の嗜好にあわせて育てられる牛肉もあることとにも似ているといえます。
吉野 「オーストラリアのWAGYUはステーキで食べておいしい育て方をしていて、和牛はすき焼きやしゃぶしゃぶのように薄くスライスしておいしくなる育て方をしている。そもそものデザイン(目的のための方法の選択)が違うと思うんです。その多様性を食べる人たちが理解してもらい、オージー・ビーフにはオージー・ビーフのおいしい食べ方があるわけですから、外食でもご家庭でも使い分けて楽しんでもらえたらいいですね」
5年間、料理人として働いたメルボルンを離れた吉野さんは、現在シドニーで自身がシェフを務める新店のオープン準備を進めています。長年、モダン・オーストラリア料理のファインダイニングシーンで仕事をしてきた吉野さんは、日本人シェフとしてシドニーでどんな店を開こうとしているのでしょうか。
吉野 「『モダン・オーストラリア料理って何か?』とは、オーストラリア人にも明確な答えがない難問です。メルボルンで働いていた『Amaru(アマル)』のシェフ、Clinton Mclver(クリントン・マクアイバー)は『パワー』とか、ハムやソーセージなどの『塩蔵』を使った料理といっていましたが、僕は、土地の文化を表したものだと思っています。オーストラリアン・チャイニーズやオーストラリアン・コリアンと細分化されたモダン・オーストラリア料理が生まれるダイバーシティな食の国。オーストラリアの食材で自分を表現したら、モダン・オーストラリア料理といえると思います」
実際吉野さんの新店には、「モダン・ジャパニーズ」が期待されているといいます。吉野さんは、「何を求められているか正直分からない」といいながらも、淡い味わいながら食材のうま味を重ねていくスタイルは、日本食らしさと感じてもらえるといい、「気負うことなく自然体に料理をしていきたい」といいます。
「無理に珍しい食材を海外から仕入れて、特別な料理に仕立てるのではなく、まわりのシェフと変わらない食材を使ったとしても、技術力で差をつけたいです」と吉野さん。新店のオープンがいまから楽しみでなりません。